■選曲者 竹村ノブカズより

90年代初頭ジャズブームのおり、私は幸か不幸かコンピレーションを選曲する機会に恵まれず、今回が初となります。曲の尺が長い上、一枚から一曲のみという制限は非常に悩みました。

TBMといえばビートのあるDJ定番曲も多数ありますが、私の好みとは少々違い、選んだモノは長年自宅で愛聴してきた曲ばかり、十数年前に選曲依頼がきたとしても、チョイスはほぼ同じになったと予想できると同時に、長時間聴き続けても決して飽きのこない曲揃いであるという実証にもなり得ると思います。

高柳など日本のフリー・ジャズは、クラブというよりむしろ正統の先鋭ジャズ・ミュージシャン達、デルマークからもリリースするシカゴ・アンダーグランド、イタリアのZU等、またジム・オルーク(ソニック・ユース)を筆頭に世界のロック〜ノイズ、オルタナ・シーンにも熱心な支持者が存在します。後に彼らと共鳴し、仕事する私にとって今回のセレクトは必然といえるモノなのです。

音楽、特に販売目的のCDというメディアは、芸術と娯楽のはざまで微妙な位置にあります。実質二つの間をとってファッションという所が妥当な機能でしょうか、流行というモノ、踊るだ、癒すだ、機能目的、使用用途が常に付き纏う宿命にあります。そこで犠牲になるのはアーティスト足るべき根本の“作家性”です。

市場の顔色を伺う経済優先志向は、作家の個より、むしろ無個性、匿名的な“交換可能な音”を美徳とする風潮すらありました。しかしそれが商業メディアに乗る時点でアーティストという顔(個)を売りにするすり替え、それは“死の広告としてのポップ”と呼べる類のモノではなく、いわば下手な詐欺的広告行為であり、DJ文化の恥ずべき負の遺産であったといえるでしょう。残念ながらこれは東京―ロンドン固有のトリックであり、ポップ・ミュージックの生き歴史国アメリカではそのようなことは起こりませんでした。

しかし、本盤に挙げた日本人の音の支持者の多くは、ジャズやソウル、ロックを生んできた国、米国のミュージシャン達なのです。この意味を是非読み取っていただきたいのです。バッハの例を出すまでもなく、真にローカルなものこそ、国境を越えうるという証。過去の遺産のフォームを“なぞる”“装う”作業とは程遠い原初的で“素の音楽”です。

誰しも鋭いはずだった子供の頃の感受性、直感的耳を取り戻す為に、生活習慣病のような、癖、薬を求める様に音楽に接するのは危うく、用意された効き目に汚染され、曲がった耳(大人)と化してしまう前に気付かねばなりません。

その音から何を聴くか?それこそリスナー各々が見つけるのが、音楽の醍醐味です。聴くことの重要性を説いたケージ、彼をそこに導いたのは東洋であり、師匠であった鈴木大拙のような日本人なのです。この風土に住まう我々がそこを見落とすのはどうかしています、その原因は、もう一つのアメリカ、西欧文化、情報を盲信順応してしまうGHQ主導教育の産物なのかもしれません。理由なき犯行、欲求なき創作、模倣が膨大に溢れ、選別もされぬまま放置されている様は、そういう風土を無視した、価値観の強要、背景が透けて見える気がします。仕掛けられた罠を見抜くには直感を働かせるしかないのです。輸入大好き日本人が誇張し、最もビジネスになっていた90年代ジャズ・ブームは、世界的視野では同人誌的な類の域を出れずにいたことは海外に出れば直ぐ気がつくことですが、ジャパン・マネーをばら撒く恥ずかしい音楽業界人だらけ、情報鎖国の島国ではそうもいきませんでした。

この盤を機会に日本にこんな素晴らしいミュージシャンが居たのだということを誇りに思っていただき、研ぎ澄まされた、動物のカンのようなモノをリスナーが自力で取り戻していただけたらと思います。

選曲という、ジャーナリズムに半分足を突っ込んだ作業だからこそ、“迎合”でなく“啓蒙”の観点からされてしかるべきで、その積み重ねが次世代の音楽家を育む肥やしになりうるのは言うまでもありません。この時期にこういう形で選曲させていただいたのは幸運だったのかもしれません。
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