日本近代木版画の巨人 吉田博
主な作品のご紹介
レニヤ山 Mt.Rainier Mount Rainier 35.9×51.0
東京銀座に現存する老舗版元、渡辺木版美術画舗の初代渡辺庄三郎から浮世絵時代の伝統文化を後世に伝えるため、当時日本の洋画壇だけでなく国際的にも活躍していた吉田博は、請われて渡辺版画舗から8点の木版画を出版している。しかしその出版したばかりの版木の全てを関東大震災で失った。そこで震災後、絵師として下絵を描くだけでなく、浮世絵時代からの彫師、摺師の技法を徹底的に学び、自らも木版画の版元として再出発した。その第一弾に、1903年の二回目の訪米で訪ねていたアメリカ北西部ワシントン州の名山を選んだ。「レニヤ山」国立公園の湖水越しに氷河の感触を木版技術で表現している。
柾版(美濃版の倍のサイズ、奉書の全面を使用)、版木は表裏10面で摺数が46色刷。1925年作(大正14年)。
ユングフラウ山 Jungfrau The Jungfrau 25.0×37.1
版元としての再出発では、日本人登山家の海外登山に先鞭をつける程の登山歴からヨーロッパ・アルプス、スイスの名峰「ユングフラウ山」も題材に選んでいる。色刷数が比較的少ないにもかかわらず、頂上付近の巨大な氷河の質感を単純な色の組み合わせで表現されている。この「ユングフラウ山」での単純な色の組み合わせの試みは、参考作品に様々な試刷りの作品が多く残されている事でもわかる。それら試刷りの作品は、今日コレクターの間で垂涎の的となっている。
美濃版(奉書の1/2を使用)、版木は表裏8面で、摺数が22色刷。1925年作(大正14年)。
スフィンクス Sphinx-Day The Sphinx 25.0×37.2
「ユングフラウ山」同様、版元としての独立第一弾のシリーズ。当時まだ日本から訪ねる観光客もまれなアフリカ大陸、エジプトの砂漠にも出掛けている。同じ大陸のモロッコを日本からの民間人としては最初の訪問として1906年に義妹、後に結婚して妻とする吉田ふじをを伴い訪ねた折には、ラクダに乗る現地の人をカメラで撮影し、写真嫌いのモロッコで危うく鞭打の刑になりかけたりしている。その時以来作品にしたいと思っていたラクダを画面の手前に入れ、「スフィンクス」を完成させている。真昼のどこ迄も奥深い沙漠の青空を「雑巾」の片方に水の量を多くし、反対側の方には絵の具の量を多くするという浮世絵に多く使われていた「ぼかし」の技術を駆使している。
美濃版、版木は表裏14面で、摺数が33色刷。1925年作(大正14年)。
劔山の朝 Turugizan-Morning Morning on Tsurugisan 37.0×24.8
吉田博は、木版画の制作を始める前からも国内外で多くの山に登っている。長い時は数カ月夏の山にこもり、冬の間には自宅へ戻って来てアトリエと刷場で木版画の制作に専念していた。また山を描く時には多くの画家は麓から描くが、吉田博の場合は、山の上から見下ろすアングルで描いた作品が多い。そして、必ず足下の状態を描き加え臨場感を持たせる様にしている。「剣山の朝」は、「日本アルプス12題」の一点として特に「ぼかし」を多用して山や雲の遠近感を表現している。自分で考案して使用していたテントを画面の中に入れ、キャンプ・ファイヤーの煙りを「胡粉」を使って山の生活を表現している。
美濃版、版木は表裏6面で、摺数が36色刷。1926年作(大正15年)。
光る海 Glittering Sea 37.2×24.7
「瀬戸内海集」は、渡辺木版画舗から出版しながら関東大震災で版木を失った「帆船のシリーズ」の再現と、更に「光る海」では海面を「大ぼかし」の技術を使い、太陽光の反射を「丸のみ」での表現を試みている。二艘の帆船の帆が水面に反射する水の表現では、吉田博の真骨頂を余す所無く表現されている。この作品は、後に出て来る「猿沢の池」と共に故ダイアナ妃の書斎の壁にかけられ、その様子はイギリス王室の記事を扱うマジェスティー誌にデスク の前のダイアナ妃と共に紹介されている。
美濃版、版木は表裏10面で、摺数が28色刷。1926年作(大正15年)。
帆船 朝 Sailing Boats-Morning 50.9×36.1
「帆船」シリーズの別刷りだが、日本国内では、吉田博が帝展(日展の前身)などの官展に唯一木版画を出品した4点の一つで、時間の過程と共に変化する海の表情を同じ版木のセットで表現する作品群として仕上げ、当時の画壇でも高く評価されて来た作品。この作品は、縦や横の単純な「ぼかし」では無く、カーブした大きな「大ぼかし」にも特徴がある。吉田博の木版画の代表作ともいわれ、日本国内では、吉田博の木版画を多くコレクションする美術館の一つ、静岡県熱海市にあるMOA美術館ではコレクションと共に、ポスターにもしている。
柾版、版木は表裏15面で、摺数が32色刷。1926年作(大正15年)。
帆船 午前 Sailing Boats-Forenoon 50.8×36.1
海外では、この「帆船」シリーズの作品は、日本美術を代表する作品として、例えばボストン美術館の「帆船・午前」のポスターを始め、アメリカ各地の有名美術館で長年ポスターやカード等が作られてきている。この帆船シリーズの原点は渡辺木版美術画舗から出版しながら、関東大震災でその版木全点を失った帆船のシリーズだ。これを再版するにあたり、同じ作品を再現するのではなく、震災前の4点の作品を基に、更に次元の高い作品に仕上げ、合計6点のシリーズとしたが、日本ではその内の4点のセットを自らも審査員をしていた帝展(日展の前身)に出品している。通常は横向きにつける事が多い「バレン筋」の技法をこの作品では縦向きの筋にしている。
柾版、版木は表裏15面で摺数が26色刷。1926年作(大正15年)。
帆船 午後 Sailing Boats-Afternoon 50.9×36.1
「帆船」シリーズの別刷りだが、時間の経過と共に、太陽光線の方向が変わり、遠くに見えていた帆船が視界から消えている。これも「帆船の午前」と同様に、通常は横向きにつける「バレン筋」を、縦向きの「バレン筋」にし、更に「帆船の午前」でも使っていた「大ぼかし」を画面全体に駆使している。
柾版、版木は表裏15面で摺数が28色刷。1926年作(大正15年)。
帆船 霧 Sailing Boats-Mist 50.9×36.0
この「帆船 霧」は、「帆船」シリーズの別刷りの中でも微妙な表現の工夫が見られる。霧のため、太陽の光線が画面全体に満遍なくまわらなければならないので、全体の摺りをフラットにする必要があった様だ。そこで通常の16撚りのバレンで「バレン筋」を付けるのでは無く、フラットに摺れる「ベタ刷」用の4撚りのバレンをこの作品では多用している。また、その「バレン筋」の付け方は縦や横向きではなく、円を描く様に付けている。
柾版、版木は表裏15面で摺数が24色刷。1926年作(大正15年)。
帆船 夕 Sailing Boats-Evening 50.5×36.0
合計6点製作された「帆船」シリーズの中でも、「帆船」の帆が水面に反射する水の描き方、特に帆船とその影のシルエットに特徴がある。これは「光る海」同様、水を表現する抜群の作品だ。アメリカ、ミネアポリス市のミネアポリス美術館では、合計6点の作品を一枚のポスターにもしている。
柾版、版木は表裏15面で摺数が28色刷。1926年作(大正15年)。
帆船 夜 Sailing Boats-Night 50.8×36.1
この作品も「帆船」シリーズの別刷りだが、吉田博が帝展(日展の前身)に出品した木版画作品の一つで、「帆船」シリーズの中で、特に夜景を表現するために様々な試みが成されている。昼間の作品の内の版数を多少省略し、追加版を数版彫り足している。全体には、夜の版を幅の広い「大ぼかし」を藍色で刷り、黄色の明かりは、明かりの部分をくり抜いた夜景用の藍色の「つぶし」版で刷っている。
柾版、版木は表裏15面で摺数が25色刷。1926年作(大正15年)。
吉田村 Fuji from Yoshida Yoshida Village 25.2×37.1
全点で10点ある「富士拾景」の内の一点。大判の多い吉田博の富士山の木版画の中では手前の足下を描写して臨場感を持たせているが、この作品は美濃版のためか、富士山を望遠レンズで近くに引き寄せた様なアングルになっている。また雪を冠った富士山の山肌を少ない摺数でも完璧に表現している。吉田博は、富士山を専門的に撮影してきた写真界の巨匠、岡田紅陽との交流を通して日本を代表する名山としての富士山を特に大事に思っていたようだ。岡田紅陽が撮影した吉田博の仕事中の写真も残されている。この作品は「板ぼかし」という技法で、やすりなどを使って板をぼかす様に削り、実際に摺る時は、そのぼかしの効果を出すために色を薄くする所を雑巾で拭いて更にぼかしがかかる様にして刷っている。
美濃版、版木は表裏6面で、摺数が27色刷。1926年作(大正15年)。
隅田川 Sumida River-Afternoon The Sumida River 24.8×37.3
別刷りの作品には、「隅田川・夕」と「「隅田川・霧」がある。「東京拾二題」という12点の内の一点だが、この作品も時間の過程と共に変化する隅田川を同じ版木のセットで表現している。その3点の作品群の基本になる作品で、午後の反逆光の太陽光線を表現している。また遠景の町並みではシルエット状の中に版木の組み合わせで午後の太陽があたる町並みのディテールを表現し、水面に反射する太陽の反射には「光る海」同様「丸ノミ」を使用している。当時、日本人にとっては珍しい世界的名所の作品が多い中、日本国内では「東京拾二題」というシリーズで身近な生活も題材としている。
美濃版、版木は表裏8面で、摺数が30色刷。1926年作(大正15年)。
亀井戸 Kameido Bridge Kameido 37.5×24.7
この作品も「東京拾二題」という12点の内の一点で、東京下町の代表的名所、亀戸公園の作品だ。同じアングルで、吉田博の長男、木版画の画家である吉田遠志の初期の作品にも全く同じアングルの小品がある。吉田博の作品の場合は、橋を渡る人々の組み合わせを色の重ね合わせで臨場感を持たせようとしているがこの表現のために摺数が88色刷にもなっている。吉田博は、当時入手出来た和紙の中でも、この様に多色刷に耐える紙についても徹底的に研究していた。福井県の大滝村の後に人間国宝になった岩野市兵衛に「奉書」の和紙や大判用には茨城県「程村」の紙漉き場に和紙を特注していた。その結果大判の他に「陽明門」の96色刷、「上野公園」の98色刷、などの摺数が多い作品も実現した。
美濃版、版木は表裏10面で、摺数が88色刷。1927年作(昭和2年)。
堀切の志ようぶ Iris Garden in Horikiri The Iris Garden at Horikiri 37.7×25.0
「亀井戸」同様「東京拾二題」という12点の内の一点で、当時の東京下町を代表した名所だ。この作品も富士山の「吉田村」の望遠レンズとは違い広角レンズで広い絵をとらえている。画面の下3分の2は、すぐ手前の足下の菖蒲までを画面に入れて表現している。それも手前になるに従い、ズームレンズの様に変化している。
美濃版、版木は表裏8面で、摺数が43色刷。1928年作(昭和3年)。
金魚すくい Fishing Gold Fishes Dipping for Goldfish 24.7×37.5
吉田博が人物を木版画で表現する時には、あえて写実的に描かずに部分を省略した人物のポーズの表現を重視している。このために吉田博は人物を描くのが苦手だったと思う人もいるが、水彩画や油彩画には、写実的作品として東京国立博物館所蔵の作「精華」は日本を代表する作品と言っても過言では無い程の人物油彩画もある。
美濃版、版木は表裏12面で、摺数が55色刷。1928年作(昭和3年)。
中房川奔流 Nakabusa River The Nakabusa River Rapids 24.8×37.7
大判の「渓流」と共に吉田博の水を描いた代表作の一つだ。油彩画にもこの様な「渓流」の作品が多数あるが、木版画を作るにあたって多くのスケッチや下絵が残されているところからも水の流れを表現するためにかなりの研究を重ねた様だ。墨版を水の墨版と周囲の岩の墨版の2版を用意して、それぞれの色に違いを持たせている。くだける水の表現には「空刷」の技法も多用されている。
美濃版、版木は表裏8面で、摺数が27色刷。1926年作(大正15年)。
田口の冬 Winter in Taguchi 24.9×37.4
吉田博の作品には、特別な名所ではなく、どこにでも有る様な風景を絵にするという油彩画や水彩画の作品も数多くある。木版画を作るにあたっても日本海側の典型的な冬の雪国を絵にしている。少ない色数だが、湿度の多い日本の雪の質感と、曇りの日の全体に光のまわった風景を表現している。
美濃版、版木は表裏6面で、摺数が25色刷。1927年作(昭和3年)。
雨後の穂高山 Hodakayama after Rain Hodakadake after Rain 54.5×71.2
吉田博の次男、吉田穂高の名前は、この穂高山からとっているほど吉田博の大好きな山の一つだ。この「雨後の穂高山」は、震災前の「穂高山」の再現というよりは、大判の摺に適した茨城県「程村」産の和紙と、山桜の大きな版木用の板が入手出来た事から、更に大きな作品が実現した。吉田博の木版画を代表する作品の一つで、世界中の木版画コレクターの垂涎の的でも有る。雨上がりの上高地の地上に近い所に雲の様に霧が立ちこめる様子と、遠景の穂高山にも霞がかっている様子を「ごま刷」と「大ぼかし」で表現している。
大判、版木は表裏12面で、摺数が64色刷。1927年作(昭和2年)。
雲海 鳳凰山 Sea of Cloud Sea of Clouds at Houozan  54.5×82.7
「雨後の穂高山」同様「程村」の和紙と大きな山桜の版木を使用した作品。「大判」の中でも「54.5x82.7cm 」と、吉田博の木版画の中でも最大の作品だ。画面全体が大きな「ツブシ刷り」で、一人の摺師では摺りきれずに摺師二人が交代で刷り上げたと言われている。また吉田博が山を描く時は、麓から見上げる様に描くのではなく、山の上から下を描く作品が多いが、その中でもこの「雲海 鳳凰山」は代表する作品でもある。
大判、版木は表裏8面で、摺数が45色刷。1928年作(昭和3年)。
ヴェニスの夕 Evening in Venice 12.5×8.1
夏目漱石の小説「三四郎」に次の様な文章がある。『ここに長い間、外国旅行をして歩いた兄妹の画がある。双方とも同じ姓で、しかも一つ所に並べて掛けてある。美弥子は、その一枚の前に留まった。「ヴェニスでしょう」これは三四郎にも解った。』吉田博が結婚する前の義妹を併ってイタリアのヴェニスを訪ねた時の作品の事が書かれている。「ヴェニスの夕」は葉書大程の小品だ。遠くの明かりの表現は、版木の小さな穴の中に絵の具を溢れさせて摺っている。この作品も「堀切の志ようぶ」同様画面の下3分の2は、臨場感を出すためにすぐ手前のゴンドラまで画面に入れ、広角で表現している。
小判(葉書サイズ)版木は表裏10面で、摺数が18色刷。1928年作(昭和3年)。
鍋島 Nabeshima Manabeshima 24.6×37.8
瀬戸内海を友人の高橋虎之助、安藤静也と小舟を二ヶ月間チャーターして写生旅行をした時の作品。真鍋島を「鍋島」と吉田博は呼んでいる。瀬戸内海の波の無い静かな日の鏡のような海面を、昔からの「つぶし摺り」の技法で表現している。また、水に反射する帆船や小舟のマストと真鍋島の島陰は、水を描く吉田博の表現力を余す所無くあらわしている。
美濃版、版木は表裏10面で、摺数が32色刷。1930年作(昭和5年)。
タジマハルの庭 Taji Mahal No.1 The Taj Mahal Gardens 24.7×37.5
吉田博の長男、吉田遠志の始めての海外旅行の目的地としてインドを選び、一緒に出掛けている。約2ヵ月間、船や鉄道を乗り継いでインドと東南アジア諸国をスケッチ旅行しているのだ。インドを代表する名勝「タジマハル」も時間の過程と共に変化する建物を同じ版木のセットで表現している作品だ。別刷りの「タジマハルの庭 夜」は、全体に「ツブシ刷」で夜を表現していて正面の建物の中の黄色い明かりが特に印象的だ。
美濃版、版木は表裏12面で、摺数が35色刷。1931年作(昭和6年)。
アムリッサー Golden Temple in Amritsar The Golden Temple at Amritsar 24.8×37.1
イギリスとの関係で、1930年代既にインドでは全国に広がる鉄道網を完成させていた。そのインドの鉄道網を長男、吉田遠志との旅で徹底的に利用している。東南アジアをまわり、広大なインド亜大陸の隅々を2ヵ月間かけて旅行している。現地ではスケッチ・ブックだけで無く、絵の具セットやパレット、更にイーゼルを担ぎ、油彩画を何枚も完成させている。このゴールデン・テンプルは、パキスタン国境の直ぐ近くにあり、インドとパキスタンの国境紛争の影響を受けて現在は旅行者は入る事のできない名所だ。金色に輝くパレスの質感を表現するために墨版の代わりに茶色の線の版を基にして摺った後に色版が加算されている。
美濃版、版木は表裏14面で、摺数が38色刷。1931年作(昭和6年)。
アフガニスタンのキャラバン Caravan from Afganistan Caravan from Afganistan 24.7×37.7
「スフィンクス」の版画や、以前に訪ねたモロッコの旅の思い出からか、ラクダを描く事にも興味を持っていた様だ。アフガニスタンの砂漠地帯から、現在のパキスタンを越えてやって来たキャラバン隊をパキスタン国境近くで描いている。別刷りの「アフガニスタンのキャラバン・月夜」では、40℃以上にもなる昼間と夜間は一変する厳しい現実の砂漠を星と月明かりで表現している。「月夜」の方は、星の部分をくり抜いた全面をカバーするベタ刷の夜景用の一版を追加しているが、昼間の版のセットの中から4色程不要な摺を省略している。
美濃版、版木は表裏19面で、摺数が40色刷。1932年作(昭和7年)。
象 Elephant 37.6×24.7
「ウダイプールの島御殿」や「ウダイプールの城」などの木版画制作のために訪ねたウダイプールでは、木版画の様なイメージの絵画が地元の人達に依って多く描かれている。もしかすると吉田博はそれらの作品の影響を受け、背景の風景を省略し、背景が金色に光る様に、黄色や茶色で表現しているのかもしれない。また、この作品は、野生動物の木版画や絵本などに力を入れた吉田博の長男、木版画家、吉田遠志の野生動物の木版画制作にも強い影響を与えている様だ。
美濃版、版木は表裏12面で、摺数が42色刷。1931年作(昭和6年)。
弘前城 Hirosaki Castle 37.5×24.7
「櫻八題」のシリーズの一点で、富士山と共に日本の美しさを代表する櫻の表現にも取り組んでいる。画面全体に満開の櫻を配し、その間から見える弘前城の姿は、ともすれば富士山芸者的な発想ととらえられがちだが、日本の一番美しい櫻の季節を大胆な構図で表現した晩年の傑作だ。この作品も櫻の色を表現するために墨線に黒を使わずに、桃色に近い茶色で摺っている。
美濃版、版木は表裏14面で、摺数が33色刷。1935年作(昭和10年)。
春雨 Yozakura in Rain Spring Rain 37.4×24.7
これも「櫻八題」のシリーズの一点だが、難しい題材に取り組んでいる。京都の丸山公園のしだれ櫻だが、雨の日の夕方の櫻と足下にたまった水たまりに移り込む櫻の反射は、吉田博の木版画の中でもコレクターが望む逸品だ。また薄暗くなりはじめた空にも「ぼかし」を入れ、「ごま刷」で水たまりのテクスチャーを表現し、薄暗い中でも人物のしぐさを上手にとらえ、微妙な色を出すために何度も色を重ね色摺数が61色にもなる一枚の作品に仕上げている。
美濃版、版木は表裏12面で、摺数が61色刷。1935年作(昭和10年)。
三保 Fujiyama from Miho Fuji from Miho 24.5×37.8
富士山と、手前の波打ち際の波にあたる太陽光線、それが水面に反射している様子が良く表現されている。技法的には、版の表面をぼかし、手前の砕けて押し寄せる波を表現するためには、ヤスリなどで削って濃淡を出す様にした「無駄彫り」の技法が使われている。単純な画面構成のため色刷数は少ない様に思われるが、墨線の版は2色刷で刷られていたり、微妙な色の重ね合わせのため何度も色を重ね色摺数は40色刷になっている。
美濃版、版木は表裏12面で、摺数が40色刷。1935年作(昭和10年)。
歌ヶ濱 Utagahama 24.6×37.5
吉田博にとって日光は良く通った名所の一つだ。スケッチ旅行の折に地元で絵を描いていた小杉未醒、後の小杉方庵を見い出し、東京へ誘い後に太平洋画会の幹部にまで迎えている。この「歌が濱」は、日光の中禅寺湖畔の名所で昭和12年当時の生活を垣間見る事ができる。
美濃版、版木は表裏16面で、摺数が67色刷。1937年作(昭和12年)。
猿沢池 Sarusawa Pond 37.7×24.6
奈良興福寺の五重の塔とその手前に広がる「猿沢の池」。この作品は、「光る海」の所でも触れたが、「光る海」と共に、日本を訪問された後、故ダイアナ妃の書斎に対の作品としてかけられていた。特に薄い色を何度も重ね合わせる水彩の技法をマスターしている吉田博の得意とする技法で、画面全体を淡い色使いで仕上げている。水面は、9色刷りで表現している。ディテールの表現の仕方が人の心をも和ませる力がある作品にも思える。
美濃版、版木は表裏14面で、摺数が58色刷。1933年作(昭和8年)。
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