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蔦屋重三郎
「蔦屋店頭風景」
(資料提供:江戸東京博物館)
寛延3年<1750>〜寛政9年<1797>
天明・寛政期を代表する文化人であり傑出した版元。江戸吉原に生まれる。
安永2年(1773)吉原大門前に店を構え、吉原細見(案内書)の小売を始める。天明3年(1783)版元のメッカ、日本橋通油町に進出、一流版元の仲間入りをする。
蔦屋は若い人々の才能を見出すことにも優れており、周りには、北尾政演(山東京伝)喜多川歌麿、大田南畝、十辺舎一九などの人材が集まり、彼等に活躍の場を提供していた。自らも文化人であり、蔦唐丸の狂歌名を持ち、度々歌会を主催している。
しかし、厳しい出版統制令のもと、山東京伝を起用した洒落本が風紀を乱すとして罰せられ、蔦屋は財産の半分没収という処罰を受けた。
後世の人々が蔦屋重三郎を高く評価するのは、著名な二人の絵師、歌麿と写楽を世に出したからであろう。寛政9年(1797)48歳の若さで世を去る。