BASHO
写真と文:上野信好


当時中国宋に渡って修行した法身和尚(ホッシンオショウ)が政宗によってこの寺に招かれたといわれています。今日の瑞厳寺の地位は実にこの法身上人によって築かれ、上人こそ瑞厳寺の中興の祖ということになります。
 法身上人は茨城県眞壁町の平民で名を平四郎といい土地の商家に住み込みとして働く奉公人だったということです。あるとき些細なことで主人の勘気をこうむることになり、42才にして出家し、中国に渡って修行の末伊達家の菩提寺瑞厳寺を預ることになったわけです。しかも名僧として広く名を知られ尊敬をあつめたことは、努力の人として瑞厳寺の名とともに私達は記憶にとどめておくべきことではないでしょうか。

BASHO 「松島・瑞厳寺境内の洞窟(修行跡)」


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