BASHO
写真と文:上野信好


私のささやかな旅路

 最後に私の自己紹介などを加えさせて戴くことをお許し願いたいと思います。芭蕉の一生は51年、曾良は62年、ともに数え年ですが現代の平均寿命に比べると早逝の感がありますが、当時としては平均か或いはそれ以上だったかも知れません。私は昭和初期の恐慌時代に佐賀県の山村で出生し、ごく普通のサラリーマンの生活を主として東京を中心に過ごし、平成8年に40年におよぶ企業社会を卒業しました。この間には特に目立ったことも毀誉褒貶(キヨホーヘン)にもほど遠いものでしたが、その後4〜5年はこれまでとは一変した出来事が身辺に発生し、改めて人生とは仲々尋常ではないものとの思いをいたしております。わけても会社を退任して5ヶ月後の平成8年11月に、28歳の息子を癌で失ったことはそれまで六十余年の人生で最大の痛恨事となりました。息子は介護の仕事こそ自身の天職と考え、篤志の事業家の支援を受け事業が緒についた矢先に病を得てしまいました。彼は仕事を軌道に乗せるべくすさまじいばかりの生への執着を見せましたが叶いませんでした。あとはただ言いようのない寂寥感に襲われるばかりで、これぞ人の世の旅のひとこま、と自らに言い聴かせるまでには更に幾許(イクバク)かの時間を必要としたものです。息子は死の床で次のようなことを口にしました。「おやじが勉強している文学は人さまの前で発表した方がよくはないか。自分だけでこっそりやるよりも広く皆さんの意見を聞き、批評をしてもらって初めて向上するのではないか」と。彼の死後、私は息子の提言を容れて文京女子大学の公開講座や川口市などの市民講座もすすんで担当するようになりました。そのような学習を続ける傍ら、郷里佐賀市の顧問として企業誘致や市のPRの仕事を時々手伝っておりましたところ一年まえの12年2月、就任して1年の木下佐賀市長から市の収入役就任の要請を受け昨年4月就任いたしました。昨今の地方都市の多くは人口の減少、老齢人口の増加傾向、商工業の不振等閉塞感を背負っていていづこも呻吟しているわけですが、佐賀市も例外ではありません。市制百十余年、その佐賀市行政の一翼をになうことには少なからずためらいがありました。たしかに郷土のために奉仕できれば、それは名誉とすべきかもしれませんが、任に耐え得るかの問題と個人の感情とは当然のことながら別個のことだけに苦心の選択となりました。以来10カ月。企業社会では財務や会計の経験がなかった私は、収入役の仕事は事務方に頼る毎日で、専ら行・財政改革に衰えた体力と乏しい知恵をふりしぼる日常であります。そのような私のささやかな旅は果していつまで続くのでしょうか。不確かなようで実は確かで遠くもない終着点に向って、今日も確実に旅を続けていると申すのが正しいと思っています。永い間、ご愛読ありがとうございました。

上野信好の住所
〒840-0801
佐賀市駅前中央2-3-28-805


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