BASHO
写真と文:上野信好


BASHO
(黒羽・雲巌寺)

(那須野) 日光山を下った芭蕉らは今の矢板市を経て那須野路に入ります。広々とした原野をゆくうちに日暮れになって困っているところを農夫に馬を貸してもらい、俳諧仲間のいる黒羽を目指します。

「木啄も 庵は破らず 夏木立」

句意は「さすがの木啄も佛頂和尚の偉徳に感じ入って庵を破ることはなかった」というほどの意味です。芭蕉はこの即興の一句を寺の柱に残すことにしました。

BASHO黒羽町大関氏一万八千石の菩提寺大雄寺の参道



黒羽は大関信濃守一万八千石の城下町で二人は四月三日に到着しました。芭蕉らが尋ねた頃この地方は雨の日が多く、羽黒滞在13日の間で実に8日間も雨に降られる始末で、黒羽は「おくのほそ道」の道中で最も長い逗留となってしまいました。
 その間、羽黒の町から隔てた山際の地にある臨済宗の名刹雲巌寺を訪れます。芭蕉が深川臨川庵(清澄公園近く)で面識を得たとされる鹿島根本寺21世佛頂和尚は、芭蕉参禅の師でこの雲巌寺には老師修行の跡がありました。

BASHO黒羽町蜂巣、黒羽藩士鹿子畑翠桃(カノコバタスイトウ)の菩提寺西教寺(サイキョウジ)の曾良の碑

「かさねとは 八重撫子の名なるべし」


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