BASHO
写真と文:上野信好


元禄二年から遡ること五百年、源平の戦いで佐藤元治は二人の息子継信・忠信を源九郎判官義経の家来として差出します。兄弟は義経のためにめざましい働きをしますが、遂に屋島と京都で義経の身代りとなって討死したといいます。

BASHO 医王寺 継信・忠信の墓
800年前の石の墓標

芭蕉の文芸はこのように叙事詩をつづっている点でも特徴があります。叙事詩とは、いくさや事件をとりあげストーリーとして詩うことですが、特に悲運の武将や先達をモチーフにして物語を構成しています。

 「おくのほそ道」だけをとってもこの先、笠島(宮城県名取市)の藤中将実方、塩釜神社の文治灯籠寄進の和泉三郎忠衡、平泉高舘の義経主従、小松多太神社に祀る斎藤別当実盛などが出て参ります。悲運の先達への憧憬と同情はそのまま叙事詩への傾倒となり、このことは芭蕉自身の生い立ちとあるいは無関係ではないかもしれません。


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