BASHO
写真と文:上野信好


さて仙台で芭蕉は土地の風流人画工加右衛門から親切な接待を受けます。加右衛門は俳号を和風軒加之、東北きっての俳人大淀三千風(オオヨドミチカゼ)の門下で、版木彫刻を生業とする木訥(ボクトツ)な人柄とやさしい心づかいに芭蕉は旅の疲れを癒すことになりました。別れぎわに加右衛門は、塩釜、松島などの地図と紺の染緒をつけた草鞋(ワラジ)2足を差し出します。紺の染緒とは紺色に染められたわらじの鼻緒のことで、これは端午の節句にゆかりのあやめ草の紺と色が符号するばかりでなく、紺色が厄よけ特に毒蛇よけに効果があるとされることから旅の安全を願ってのおくりものでした。

(壺の碑)仙台から塩釜、松島へ向かう途中、芭蕉は市川村多賀城、現在の宮城県多賀城市の国府政庁跡にある壺の碑(ツボのイシブミ)に立ち寄ります。壺の碑は高さ3メートルぐらいの格子造りの外囲いの中にある四角錐の石碑で、碑面にはこの地から東西南北の方位ごとに主要地点までの里程がしるされています。芭蕉はこの碑こそ日本の中心として坂上田村麿が彫りつけさせたものと早合点したことが紀行文にしるされています。これは近世初期になって偽って伝えられたもので、歴史学者でない芭蕉には無理からぬことだったようです。なお、実際の壺の碑は青森県上北郡天間林村小字坪村にあったといわれていました。



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