写真と文:上野信好 |
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おくのほそ道を辿る 塩釜から松島へ (末の松山・塩釜)壺の碑を見て古人の心にふれた芭蕉は、多賀城祉をあとにして塩釜で御釜神社(塩釜神社のこと)に詣で、そのあと末の松山・沖の石・野田の玉川など古代の古歌に詠まれたいわゆる歌枕の地を見物しました。その夜は塩釜の法蓮寺門前の治兵衛という者の家に泊ります。5月8日(新暦6月29日)のことでした。しかし紀行文では多賀城跡から野田の玉川・沖の石を経て末の松山を尋ねたことになっていて、塩釜に泊って翌朝塩釜の明神に参詣したことになっています。 さて、平安期の大歌人清原元輔の歌で知られる末の松山の「末松山宝国寺」はJR仙石線多賀城駅から徒歩15分くらいの所にあり、松の古木が2本際立って高くそびえていました。その松の根本には「契りきな かたみに袖を しぼりつつ 末の松山 波こさじとは 清原元輔」の歌碑が建立されています。
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