BASHO
写真と文:上野信好


文治3年(1187)という年は後鳥羽天皇の時代で、後白河法皇が院政を施いた時でしたが鎌倉の源頼朝が権勢をふるっていたこの年の2月、弟義経はかつて少年時代を過した平泉の藤原秀衝を頼って逃れることになりました。しかし10月には頼りにしていた秀衝が病没するにおよんで、奥州藤原氏は危急存亡の年になってしまいました。秀衝の三男で和泉ヶ城という柵(サク)を守る藤原忠衝、別名和泉三郎忠衝はこの藤原家の一大事に際し、塩釜神社の御庇護に頼らんとして寄進したのがこの燈籠とされています。
 ところでこの燈籠は天(笠)と台座は二百年くらい前に朽ちて取り替えられたとされていますが、胴の部分は800年前建立当時のままといわれており、風雨に晒されたその姿は悲劇の武将和泉三郎を見る思いがいたします。
(松島)松島はこの紀行文「発端」の章で述べたとおり、芭蕉の中にはこの旅の目的のひとつに松島の景色を賞づることにありました。

BASHO 塩釜神社の「文治燈籠」
写真は拜殿前右側の燈籠


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