![]() 写真と文:上野信好 |
平泉 秀衡は北上川を見下ろす小高い丘に義経の為の館を築き、二人の息子泰衡・忠衡には義経を主君と仰ぎ鎌倉方の追手から守るよう訓しました。しかし同年10月には秀衡が病没し、鎌倉方の攻勢が迫るにつれて兄弟の対応は両極に分かれることになりました。頼朝の度重なる追討の命令に兄泰衡が屈したのに対し、弟忠衡はあくまで父の遺訓を守り、遂に義経主從とともに果てることになりました。 一方、兄の泰衡は義経追討に加担し功秦しますが、やがて頼朝の家来によって敢えなく最後を遂げ、ここに奥州藤原氏4代100年にわたった華麗な歴史は幕を閉じることになったわけです。藤原氏終焉後500年、夏草茂る高館を尋ねた芭蕉は、有名な盛唐の詩人杜甫の五言絶句「春望」を引用し「夏草や……」の句を鎮魂の詩としたのでした。
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