BASHO
写真と文:上野信好


ところで杜甫の「春望」では、「国破れて山河あり、城春にして草木探し」とあるのを芭蕉は、「城春にして草青みたり」と紀行文にしるしたとされています。平成8年11月に大阪で発見された芭蕉の眞蹟といわれる「おくのほそ道」では、「城春にして草青々たり」となっていました。この眞筆とされる大阪の古籍商の所有する野披本(ヤバボン)ー芭蕉が弟子のひとり志田野披に渡したとされることからそのように呼ばれる−は写真でみるかぎり「草青々たり」と読むのが正しいようであり、引き締った漢文体の文章構成の上からもぴったりするように思われます。また青をふたつ重ねて夏草の茂るさまを表現している、いわゆる疊語(ジョウゴ)は芭蕉が疊語をたくみに使い分けた表現方法のひとつです。「青みたり」でよいのか、「青々たり」が正しいのかは、「野披本」の眞贋いづれかによって自ら決まってくることかもしれませんが、いまだその解答はでておらず、從って学会などの訂正もないわけです。

BASHO [平泉・中尊寺の金色堂]
BASHO 金色堂横の芭蕉句碑]
「五月雨の降りのこしてや光堂(ヒカリドウ)
延亭3年(1746)建碑
BASHO [平泉・中尊寺の経蔵]


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