BASHO
写真と文:上野信好


(書簡)─友人や知人に送った手紙は延宝9年38才頃からのものが判明していて、182通が確認されており、うち3通は遺言状になっています。そのほか発信年次が不明で月日のみ判明するのが11通。年月とも不明で日付のみが7通、季節だけを書いたのが1通、日付も季節も全く不明の手紙が3通あります。これで計204通もの手紙になりますが、芭蕉の手紙の特徴は多様な文面である点にあります。すなわち弟子を勇気づけたり諭す俳諧道の指導に始り、世間一般の依頼ごとや争い事の仲裁、礼状、弟子への金の無心、愛弟子との離別に際しての惜別の詞など実にさまざまです。これら204通もの手紙を書き残していますが受取った手紙は僅かに17通に過ぎず発信数とは対稱的で、人間芭蕉を知る上で極めて興味のある現象です。


(選集)─芭蕉の文芸の成熟過程を考察するとき、芭蕉と弟子との間で編まれた句集を吟味する必要があります。芭蕉7部集がこれです。「冬の日」「春の日」「阿羅野(アラノ)」「ひさご」「猿蓑」「炭俵」「続猿蓑」がそれで、貞享元年の「冬の日」に始り、没年の文禄7年9月初旬にほゞ成立した「続猿蓑」までの過程は極めて興味深いものがあります。そこには談林俳諧を脱却して初期蕉風俳諧に始まり、次第に「わび」「さび」の境地を深めながらついに「かるみ」へと到着するプロセスがみられます。


(芭蕉における旅)─「おくのほそ道」の冒頭で芭蕉は、大きく宇宙の実相をとらえ、この空間の中に人間の営みがあり、すべては時間の流れの中に委ねられた現象であるとしその具体的実践として旅をとらえています。従って旅こそが人生のすべてであるというわけです。


人間は言葉という表現の手段を持っているがその最も美しい表現の形は詩であるとし、その詩は人間の最も純粋な生き方である旅の実践から創造されるものであると言っています。古来日本人の旅は先人の足跡をなぞる追体験の旅が一般的で芭蕉の旅も能因や西行宗祇ら私叔した先達の跡をたづねる旅が目標の先にありました。それは歌枕の地を丹念に尋ねたことからも判りますが、それから一歩踏み出して歌枕の地以外の一ノ関高舘や山寺なども訪れて絶唱の句を残している点は注目に値します。


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