![]() 写真と文:上野信好 |
西施は結核を患っていて、いつも顔は青白くその上しかめづらだったというのです。 しかもそのしかめた顔が憂いを漂わせた風情があり、なんとも表現しがたい可憐さがあったというのですから美人とはよくよく得するものだと云うことでしょうか。 ついでながらウインクをすることを「秋波をおくる」と言いますが、これも西施のしかめた顔がウインクをしているように見えたことからそのような表現になったということです。 象潟の条の紀行文で蚶満寺のことに触れ、「この所に行幸(ミユキ)ありしこといまだ聞かず。いかなることにや。」という文章があります。その意味は、「この寺に神功后宮が行幸されたということを聞いたことがないのに御墓があるというのは、どのような事情があるというのだろうか」というほどのものでしょう。 その「いかなることにや」が平成8年に発見された芭蕉の眞蹟(野披本)とされる「おくのほそ道」の記述から「いかなる故あることにや」に訂正されました。同様にこのホームページ最終回(平成13年2月号)の敦賀気比明神の章でも新発見の野披本の記述から、「みづから草を刈り・・・」が「みづから葦を刈り・・・」に訂正されています。
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