BASHO
写真と文:上野信好





さて、象潟における芭蕉らの脚取りを少しくわしく述べますと、雨の吹浦を16日朝出発し現在のJR羽越本線と平行に通じている国道7号沿線で、JR象潟駅近くの佐々木左衛門治郎という旅人宿に泊っています。現在の住人、関幸一郎氏の家宅がそれです。
そして翌日は向い側の能登屋孫左衛門(現在は安藤菓子店)なる旅人宿に移り、18日鳥海山を左に見ながら酒田への道をいそぎました。
芭蕉が尋ねた頃の象潟は、能因法師ゆかりの能因島をはじめ九十九島といわれる小さな島々からなり、複雑な入江を形成した港町だったことが想像されます。しかし「おくのほそ道」の旅から115年後の文化元年(1804)に大地震があり、東西2キロメートルの潟に点在していた九十九島はその姿を失い、現在では往時の島々の面影を残す小さな隆起が点在するのみの風景に変っています。



 
JR羽越本線象潟駅そば
「紀行文象の条より抜粋の句碑」
  JR象潟駅そばの公園内
「奥の細道記念切手の石碑」
   
「象潟能因島遠景」    


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