BASHO
写真と文:上野信好


 元禄7年芭蕉が客死したとき曾良は46歳の働き盛りでしたが、その後の人生は師の足跡を追体験する旅をするなどその生涯は終始芭蕉とともにありました。宝永6年(1709)、61歳の曾良は幕府の巡見使(ジュケンシ)に採用され、翌年3月江戸を立った一行は大阪・北九州を経て、肥前国呼子(ヨブコ)から5月7日壱岐国(壱岐の島)郷ノ浦に上陸しています。江戸時代、幕府は将軍が代る度に諸国に30人ぐらいからなる巡見使(ジュンケンシ)を派遣し、土地の産業、交易、兵力、民心などを調査し為政の参考としていたようでした。曾良が巡見使に選ばれたのは諸国の地理に明るく豊かな教養を持ち合わせていたからにほかなりません。上陸地点の郷の浦は壱岐の南端で、一行はやがて対馬側の島の北端勝本へと移動しますが、5月22日病についた曾良は勝本浦の海産物問屋中藤家で客死してしまいます。ときに62歳。遺体は中藤家の墓所の一角に葬られ、墓石の正面に「賢翁宗臣居士」その右に「宝永七庚BASHO天」左に「五月二十二日」右側面に「江戸之住人岩波庄右衛門尉塔」と刻まれていました。

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[壱岐の島勝本の曾良の墓] [壱岐勝本浦中藤家の曽良終焉の地の碑]
中藤家は末裔が同地にご健在で、母家の一角に石碑が建てられている。


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