江戸時代には「金」「銀」「銭」の3種類の通貨が併用され、それぞれの単位も異なっていました。高額貨幣として、江戸ではおもに金が使われ、大阪では銀。そのため、両替商が活躍しました。幕府が定めた公定相場(18世紀初頭)では、金1両・銀6貫・銭4000文が同じ価値。実際の相場は日毎に変動し、時代とともに銭の価値は下がりました。
寛永銭は、江戸の庶民に最もなじみの深いお金。表に「寛永通寶」の文字が入り、裏の模様は青海波。1文銭と、形が少し大きい4文銭がありました。まん中に穴があるので、紐を通して結んでおけます。数えたお金がまぎれることもないし、携帯に便利。
「文政年間漫録」(文政=1818~1830)によると、ある大工一家(夫婦と子供一人)の年間収入が銀1貫と587匁なにがし。これを1990年頃の物価に換算すると200万円ちょっとだそうで、エンゲル係数70パーセントという厳しい暮らし。一般的な庶民の住まいは九尺二間の1LDKで、風呂はなく、トイレは共同。それでも子供は寺子屋に通わせ、読み書き算盤を身につけさせます。
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