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源流
浮世絵の誕生
源流
浮世絵ってなんだろう。いつごろ出来たのだろうか。郵便記念切手にも浮世絵の作品が登場している。菱川師宣の肉筆美人画「見返り美人」は記念切手第一号として、昭和23年に発行されている。いまでは収集家にとっては貴重品であろう。浮世絵というと歌麿、北斎、広重などの名前や謎の絵師、写楽を思い起こすかもしれない。

室町時代末期、風俗画が大変な人気を呼んだ。市井の風俗や年中行事などを画題に描かれ、上方(京都・大阪)を中心に盛んとなったのである。各地の祭礼を描いた祭礼図、人々の遊興のさまを描いた遊興図或いは、合戦図、婦女図などが見られる。江戸時代に入ると、この流れが寛永風俗画につながって行く。

浮世という言葉は、17世紀中頃(江戸時代初期)に発生している。
つらいことの絶えない「憂き世」に、はかない人生を意味する「浮世(ふせい)」を合わせ、「浮世(うきよ)」という韻を踏んだ造語がつくられたという。それが現世から逃避した現実的享楽を意味するようになり、やがて、「当世」「今様」と解釈が広がってきた。

江戸開府(慶長8年<1603>)以来、50年が経過し、街も年々拡大して人々の生活が安定のきざしを見せてきた頃、江戸に大変な事態が起きた。明暦の大火(振袖火事)である。明暦3年<1657>、1月18日の両日燃え広がった火災は江戸の大半を焦土と化し、街を一変させてしまった。死者10万人を超えるという。
これを契機に、大規模な復興作業が進められ、江戸の街に再び活力が蘇ってきた。そして、それまでの文化土壌も一掃され、上方から移入されていた文化も衰退して行き、ここに江戸独自の文化が芽生えはじめた。四代将軍家綱の頃である。

町人は経済力には勝っていても、士農工商という封建身分制によって、やりきれなさが残った。そうしたはけ口を遊里や歌舞伎といった享楽の世界に求めたのである。浮世絵の発祥の背景はこの辺に求められる。遊里から美人画が、歌舞伎から芝居絵と役者絵が生まれたという。それらの浮世絵は時世に敏感で身近なテ−マを画題として、在来の絵画にはないマスメディア的要素も持っていた。

寛文12年(1672)、江戸で絵入り本「武家百人一首」が出版された。そこに初めて町絵師、菱川師宣の名が記された。菱川師宣(寛永8年<1631>?〜元禄7年<1694>)は安房国(千葉県)保田に生まれ、後年江戸に出て挿絵画家となる。師宣は肉筆・版画の両分野で活躍した町絵師で美人画などに多くの作品を残し、浮世絵創成期の第一人者である。浮世絵の元祖ともいわれる。特に一枚摺りの木版画、墨摺絵を開発した功績は大きい。
版本の挿絵を鑑賞用の一枚の木版画として独立させ、荒削りな線描と白黒の対比が特徴の墨摺絵は江戸町人に大きな支持を受けたのである。

師宣の活躍した万治・寛文年間(1658〜1673)に浮世絵が誕生したといえるだろう。

浮世絵は肉筆画と版画に大別されるが、ここでは印刷の歴史を探るため版画に焦点を絞って進めて行きたい。

錦絵
浮世絵版画は、はじめ墨一色摺の「墨摺絵」であったが、宝永・正徳年間(1704〜1715)丹色(鉱物性の顔料)を基調に2〜3色を筆彩色した「丹絵」が生まれる。続いて、享保年間(1716〜1735)透明感の強い植物性の紅を主色に用いた「紅絵」が考案された。これらはいずれも筆彩色であったが、やがて、彩色摺版画への期待がふくらみ職人達も工夫を重ねる。

江戸時代当時の日本は中国文化の影響を強く受けている。上海近くの蘇州を中心として明代後期から清代初期(17世紀から18世紀初期)に彩色版画がみられる。蘇州版画は民俗版画として知られる。これらの作品が長崎などを通じて日本にも入って来た。

延享年間(1744〜48)に蘇州版画を範として3〜4色摺りの色摺版画「紅摺絵」が創始された。版画技法の上で彩色版のために「見当技法」が考案されたのもこの頃と言われている。見当とは色摺りがずれないように工夫された簡単な目印であり、一説には江戸の版元、江見屋吉右衛門の発明と言われる。
「紅摺絵」の出現により、絵師、彫師、摺師の三者協力体制が確立した。
この分業体制は現在の印刷プロセスに合い通じるものがある。

筆彩版画に比べ、色摺版画は多量に早く、かつ安く出版出来るので大いに歓迎され、江戸の人気商品になった。墨摺絵から、丹絵、紅絵そして紅摺絵に至る約100年間、浮世絵版画も画題が豊富になり、武者絵や花鳥画さらに名所絵なども刊行されるようになった。「漆絵」、「浮絵」などの技法も開発された。