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錦絵の流れと巨匠たち
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鈴木春信の錦絵発表は浮世絵界に大変な反響を呼んだ。絵師達は競って春信風の錦絵制作に取り組み、次々に作品を発表して益々人気が出てきた。
明和・安永年間(1764〜1780)江戸時代中頃が錦絵の黎明期といえる。
世は田沼時代といわれ、緊縮を排し積極的な政策がとられ、華美を追う都市風俗と自由開放的なム−ドが横溢していた。まさに江戸町人文化の幕開けである。
春信の他に、勝川春章、北尾重政等が活躍している。

天明・寛政年間(1781〜1800)はいわゆる錦絵黄金時代である。
多色摺版画である錦絵はこの時代にピ−クを迎える。絵師達も浮世絵界のトップクラス、鳥居清長喜多川歌麿東洲斎写楽といった人達が輩出して、芸術性の高い作品を数多く刊行している。さらに、版元にも蔦屋重三郎といった稀代の傑物が現われ、益々錦絵の質を高めていった。多色摺の手法は更に洗練されていき、狂歌絵本や数々の草双紙の挿絵に錦絵が多用されるようになった。
錦絵黄金時代は優れた彫師、摺師という職人たちと地本問屋と呼ばれた版元、そして、天才的な絵師達の出現によって、いままでにない活況を呈したのであった。

しかし、天明年間に大飢饉が起こり、浅間山の大噴火などもあって世情は混乱の様相を示していた。天明7年(1787)松平定信が老中となりいわゆる寛政の改革に着手する。綱紀粛正をかかげ、出版統制も一段と厳しくなり、政治批判・好色もの・豪華な出版物などを禁止した。寛政3年(1791)には出版取締令に触れて山東京伝、蔦屋重三郎などが罰せられている。
だが、その後に歌麿の大首絵や写楽の役者絵が蔦屋の耕書堂から刊行されており、町人が興した町人の為の文化の力強さが感じられる。

文化・文政年間(1804〜1829)は江戸町人文化の爛熟期で「通」や「粋」が尊重された時代である。この時期、葛飾北斎歌川広重という二大巨人が出現する。「富嶽三十六景」や「東海道五十三次」に代表される風景画は万人に愛されている。

錦絵の特徴は西洋版画の写実性と異なり、平面的で多彩な色彩効果に優れ、その構図は大胆であった。慶応3年(1867)パリの万国博覧会に錦絵(浮世絵)が多数出品され、折りから新しい絵画表現を模索していたフランス印象派の画家たちを驚嘆させた。広重は北斎とともに、最も人気を呼び、ゴッホの模写などで知られる。このパリの画家たちに与えた浮世絵の影響はジャポニズムと呼ばれている。

明治維新は社会を一変させてしまったが、浮世絵の技法は受け継がれた。小林清親により西洋画法を取り入れた「光線画」という新しい手法も開発された。
しかし、文明開化による写真版や石版の技術に浮世絵版画は徐々に圧倒されて行く。明治時代が現代印刷技術と多色摺木版とのクロスポイントであろう。
大正期に入ると高度な技術を駆使した高い芸術表現が見直され、「新版画」時代を形成して行く。美人画の橋口五葉、伊東深水そして、風景画の川瀬巴水、吉田 博などを輩出している。